22年度予算の中で、市報・週報発想等経費として、258万8000円計上されている。
「これまで連絡員に常会等内の各世帯への配布(回覧)を依頼していたが連絡員の負担軽減のため、
新聞折り込みを主手段として各世帯へ配布する。」というもの。
つまり、緊急の場合を除き、回覧板がなくなるということ。これは、いいように見えるが、常会のつながりが薄れ、
地域のコミュニティがなくなってしまう、非常に危険なことだと私は思う。昔は、葬儀があると常会が手伝っていたし、
常会の行事があったり、何かと「ご近所づきあい」があったが、今は葬儀は葬儀社がやってくれる、常会の行事なんか
ほとんどなく、回覧板とゴミ当番くらいしか、行き来しなくなってきている。その、唯一の交流?である、回覧板をまわす
ことがなくなるとどうでしょう?隣のおうちに行くことがほとんどなくなってしまう。
一人暮らしのお年寄り宅に回覧板を持っていくことは、ある種、民生委員的な役割をも果たしていると言える。
また、赤十字の歳末助け合いの募金も常会で集めて持っていくが、そういうものもスムーズにいかなくなるかもしれない。
何かあった時、災害の時など、助け合わなければならない時、普段から行き来しているのとしていないのとでは、
やっぱり違うと思う。
地域のコミュニティを大事にしようと考えるなら、小さなことかもしれないが、「回覧板」はなくすべきではないと
私は考えている。
「夫婦別姓に反対する」という陳情が出ていたが、これについては全員賛成で採択された。
やはり、夫婦は別姓にしないで、今まで通り基本的に同一の姓を名乗るべきであるという考えだ。
家族・子どもとの絆を考えるなら、私としては、従来どおりがいいと思う。
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